スタジオジブリ作品の『崖の上のポニョ』について,
前編では作品の奥深いテーマ,キャラクターや舞台設定,手書きへの原点回帰,新たな表現方法の模索,精鋭ぞろいのスタッフなどを紹介しました。
『崖の上のポニョ』って実は奥が深いって知ってる!?【前編】 - Bathking in the sun.
後編では,ストーリーについての様々な考察を紹介します。
※あらすじ以下は巷で考察されている中で個人的に説得力があると感じた事柄を紹介します。
あくまで考察内容であり,公式情報ではありませんので悪しからず。
あらすじ
まずはあらすじ紹介です。
魚の女の子ポニョは、海の女神である母と魔法使いの父に育てられている。ある日、家出をして海岸へやってきたポニョは、空き瓶に頭が挟まっていたところを、保育園児の宗介に助けられる。宗介は魚のポニョが好きになり、ポニョも宗介が好きになる。ところが、娘がいなくなったことに気づいた父に追いかけられて捕まり、ポニョは海底に連れ戻されてしまう。
ポニョの父は、海底にある家の井戸に、"命の水"を蓄えていた。その井戸が一杯になると、忌まわしき人間の時代が終わり、再び海の時代が始まるのだという。ポニョは、宗介に会うために家から逃げ出そうとして、偶然に、その井戸へ海水を注ぎ込んでしまう。すると命の水はポニョの周りに溢れ出し、ポニョは人間の姿へと変わる。強い魔力を得た彼女は激しい嵐を呼び起こし、津波に乗りながら宗介の前に現れて、宗介に飛びついて抱きしめる。宗介は、女の子の正体が魚のポニョであるとすぐに気づいて、彼女が訪れたことを嬉しがる。
一方、ポニョの父は、"ポニョが世界に大穴を開けた"と言って、このままでは世界が破滅すると慌て出す。しかし、ポニョの母は、ポニョを人間にしてしまえば良いのだと夫に提案する。古い魔法を使えば、ポニョを人間にして、魔法を失わせることができるのだ。だが、それには宗介の気持ちが揺らがないことが条件だった。さもなくば、ポニョは泡になってしまうという。
嵐が落ちつくと、宗介の母は、彼女が勤めている老人ホームの様子を見に出かけていく。翌朝、ポニョと宗介が母の後を追うと、途中でポニョは眠り出し、魚の姿に戻ってしまう。そこへやってきたポニョの父が、二人を海底に沈んでいる老人ホームまで連れて行くと、そこには宗介の母とポニョの母が待っていた。
ポニョの母は、宗介が心からポニョを好きなことと、ポニョが魔法を捨てても人間になりたいことを確かめて、ポニョを人間にする魔法をかける。ポニョと宗介が陸に戻り、キスをすると、ポニョの姿は5歳の女の子に変わるのだった。
物語中の神話的要素
作品中には多くの神話的要素が登場します。
トンネル
神話の世界では,トンネルは境界を表します。
そしてその境界を越えやすいのが,「女性」と「子供」,それから真っすぐに歩けない生物と言われています。
作中でフジモトがわざわざカニ除けの呪文を張っていたのはまっすぐに歩けないカニが境界を越えやすいからです。
ジブリ作品にはこれまでも境界を超えるシーンが登場します。
例えば,『となりのトトロ』。サツキとメイはトンネルをくぐってトトロのいる世界に行って,風になります。でも,すぐに戻ってきますよね。
また,『千と千尋の神隠し』でもトンネルを抜けて八百万の神様がいる世界に滞在し,その世界のものを食べて両親は豚になってしまいます。こちらも最後は無事戻っています。
ですが,ポニョは戻ってきません。『決定的に境界を超える作品』だと言われています。
今作ではトンネルは「試練」として登場します。
トンネルを使った試練の話が出てくるギリシア神話。
詩人オルペウスは死んだ妻を生き返らせるよう冥界の王ハーデースに求めた。
ハーデースはオルペウスの願いを聞き入れる代わりに
「冥界から抜け出すまでの間、決して後ろを振り返ってはならない」
という条件を付けた。
オルペウスは後少しのところまできたが,不安に駆られて後ろを振り向いてしまい、それが妻との最後の別れとなった。
試練を乗り越えて,ポニョと宗介は周りの人を引き連れて境界を越えます。
数字の「3」
神話の世界では「3」は特別な数字。
あからさまに,リサが乗っているクルマのナンバーが「333」なのは結構有名です。
また,神話では,何かに3回トライして3回クリアしたら良いことが起き,1回でも失敗したら悪いことが起こることが多いです。
例えば,古事記に登場するイザナギが黄泉の国から帰るために使った道具は3種類で,3回とも成功したので戻ってこれました。
昔ばなしの『3匹のこぶた』では,狼は3回目に失敗して死んでしまいますね。
また,作品中でポニョは3回生まれ変わります。
死のモチーフは「眠る事」。時々ポニョが少し不自然に急に眠くなって寝てしまいます。
生まれ変わりのモチーフは「透明な円いもの(卵のモチーフ)を割って、中から出てくること」
1回目: ビン
2回目: フジモトに泡の中に閉じこめられ、妹たちに食い破ってもらう
3回目: ラストのキスシーン
生まれ変わることは,ポニョの成長を表しているのかもしれません。
ポニョは死神
ポニョの本当の名前はブリュンヒルデ。ブリュンヒルデは『死者を天界に連れて行く存在』。つまりポニョは「死神」と見ることが出来ます。
その視点で見ると,また違った見え方が出来ます。
和舟の夫婦と赤ちゃんをあの世へ送る
和舟の夫婦は大正時代の人だと宮崎監督は話しています。
(ちなみに女性の声優は千と千尋の神隠しで千尋役の柊瑠美さん。)
彼らは大正時代の人なので,当然現代には生きているはずがありません。
赤ちゃんが成仏できておらず,夫婦も心配で一緒に三途の川をさまよっている状態です。
そこへポニョがやってきて,ポニョがおでこをぐりぐりくっつけることで赤ちゃんに引導を渡し,家族は晴れて成仏できたのです。
ポニョに息子を連れ去られそうになっている母の戦い
リサにとって,ポニョは大事な息子を連れ去りに来た「敵」とも取れます。
ポニョが嵐に乗ってやってきた後,
・ 非常用ランタンでポニョの両手を封じる
・ タオルで水を奪う
・ 明かりをかざさせることで常に自分の近くにポニョを置く
といった対抗策を講じています。
また,神話では異世界のものを食べると、異世界の住人になると考えられていました。
異世界のもののモチーフは『火が通してあるもの』
1つ目:サンドイッチ
2つ目:はちみつドリンク
3つ目:ラーメン
この3つでりさは一旦ポニョを封じることに成功します。
そして,順序は逆転していますが3つの魔法を使います。
ポニョは魔法の世界の住人。りさは文明社会の人間。
嵐により文明の利器が使えなくなっている状態から,3つ復活させればりさの勝利となります。
①「水がでるかな?」→ついた
②「ガスはつくかな?」→ついた
③電気 → 失敗。
残念ながら,宗介はポニョと一緒に境界を越えてしまいます。
最後の問答は宗介が境界を超えるかどうか選択している
最後に宗介とグランマンマーレが問答をします。
「あなたはポニョがお魚だったのを知っていますか?」
「うん」
「ポニョはあなたの血をなめて半魚人になったんです」
「そっかぁ(略。喜ぶ宗介)」
「ポニョの正体が半魚人でもいいですか?」
「うん」
これも3回。
これをクリアすることで,宗介は境界を超えることになります。
ポニョは人生の結婚~死ぬまでを表している
ポニョが宗介の家にやってきてからトンネルをくぐるまでを,
結婚してから老衰して死ぬまでの人生を表しているという見方もあります。
・ポニョが宗介に抱きついた時に、降り注ぐ金色の水しぶき → ライスシャワー
・玄関でリサがポニョと宗介の名前を呼んで確認を行う → 神父から新郎新婦への確認
・船で出発 → 文字通り、二人の船出。(上々・宗介燃えてる・楽しい)
・小舟の一家との出会い → 出産
・ロウソクが消えてポニョは寝てしまい、バタ足で進む → 中年期。奥さんはゴロゴロ、ダンナ必死で働く
・宗介の足が地面に付いて、船が小さくなる → 定年退職と身体の衰え
・空っぽのリサカー発見 → 親の死
・ふたり手をつないでよろよろ歩く → 老後
・トンネル → 老衰による死
その後のクラゲドームでのポニョママから宗介への質問は、
改めて「病めるときも健やかなるときも汝は以下略」の宣誓の儀式を行っている。
結婚から死までを疑似体験してきた宗介が、それでもなお、ためらいも無くYESと答えたから、
ポニョは「生まれてきてよかった。また人間として生まれたい」,と思った。
これも説得力がありますね。
トキさんは宮崎監督にとって特別な存在
トキさんは初めから死神ポニョを敵視していました。
宗介がポニョを見せた時も,「人魚が現れると津波が来る」といって拒絶します。
人魚が津波の予言媒体として現れる話はいくつかあります。
例えば,1771年に石垣島を襲った大津波の時,ある村人が漁師の網にかかった人魚を助け,そのお礼に人魚が大津波の到来を教えたおかげで多くの村人が命拾いしたとの言い伝えがあります。
トキさんは最後の最後まで,境界を越えまいと踏ん張っていました。
宮崎監督はトキさんを自分の母親に重ねて描いています。最後まで,トキさんに境界を越えさせるかどうか悩んでいたといいます。
悩んで悩んで・・・
バケツから、ポニョを飛び出させてしまった。
宗介が抱きついたトキさんは,既に向こう側の住人になってしまっているトキさんです。
演出として,宮崎監督がめったに使わないスローモーションが使われているのも,監督の並々ならぬ決意の表れでしょうか。
『白蛇伝』とそっくり
『白蛇伝』とは,日本最初のカラー長編アニメーション映画で,宮崎監督がアニメーターを目指すきっかけとなった作品です。
白蛇伝は中国に古くから伝わる民話ですが,アニメ版は白蛇の精と少年のラブストーリーです。
さかなの子と人間のお話であるポニョとそっくりです。
さらに,白蛇伝では事故にあった少年を助けるために,魚の精が海の生き物を引き連れて島を水攻めにするシーンがあり,ポニョの嵐のシーンと重なります。
67歳の宮崎監督は,17歳の時に見た作品のオマージュとも取れる作品を作ることで,自分の原点に回帰したかったのかもしれません。
以上,ポニョについての様々な考察をご紹介しました。
こんなふうに様々な捉え方が出来るのは,ポニョが普遍的なテーマを凝縮した作品だからとも取れます。
宮崎監督は「この作品は子供たちに難しいことを考えずに見てほしい」と言っています。なので,実はこんな風にあれやこれやと大人が考察するのは監督の本意ではなさそうです。
難しいことを考えずに「感じ」て,見終わった後に何か「残る」ものがあれば,それが宮崎監督が表現したかったものかもしれません。
子どもの時にはただ見て楽しんでふんわりと感じ,大人になった時に見るとさらに深い発見が出来る。『星の王子さま』のような作品だなと感じます。
一度見たことがある人も,改めてポニョを見てみてください。
また違った発見があるかもしれません。
参考資料
・ 崖の上のポニョが神過ぎた件:ハムスター速報